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SMAPが解散させられてしまういくつかの理由を調べるために資料を集めるブログ

ただ一介のファンがSMAP解散騒動の真相が知りたくて、主にメディア情報を寄せ集めるスクラップブックのようなブログです。誤字脱字・引用間違い・解釈の違いなどがありましたら各ページのコメント欄に書いて頂けると助かります。 全て取り入れるとはお約束出来ませんが、参考にさせて頂きます。

ジャニーズ事務所の過去の強権的な姿勢【草稿第二版】

このページではジャニーズ事務所の過去の事件を振り返りたい。

田原俊彦氏の『ビッグ発言事件』の事である。

この事件はSMAP解散騒動の真相を探るのに大きな手掛かりになると思うので、この事件の資料をまとめてみた。

 

プロインタビュアーの吉田豪氏が語った。

(前略)

堀 今の報道のされ方としては、「SMAP解散危機回避してよかったね」って話ばかりがバーンと出て。
吉田 明らかにある筋からのリークの情報ばかりが出て。
堀 本当だったらこれも、僕が思うのは、本当に芸能でやれる皆さんの立場って弱いから、アメリカみたいに全員が加入する組合を作って、きちんと労働時間とか賃金とか待遇とかの面を、みんなで守り合って、みんなが活躍し始めるような、育成できるようなところを作るべきだと思うんですけど。
なかなか日本だとそういう議論までいかないで終わってしまう……。
吉田 だいたい独立騒ぎになると、大変なことになる。
堀 その後は仕事がなくなっちゃうとか。そういう話になっちゃいますもんね。
吉田 トシちゃんもここまで復活するまで何年かかったか。
堀 田原俊彦さんも地道にずっとコンサートしてやってこられたんでしょ?
吉田 ビック発言で叩かれたってされてますけど、数年前から「実は、あれはそんなに叩かれるものではなかった、操作されていた」みたいなことが報じられ始めたじゃないですか。「なぜ報じられるの、今?」という。
堀 それ、「一番本人がしんどいときに、ちゃんとその論調も出してあげてよ」という感じはしますよね。
吉田 「ジャニーズ怖い」的な意見は多いですけど、僕は「マスコミ怖い」って思いますけどね。
堀 断片的な一部の情報に基づいて報道していくこと。
吉田 忠実なところ、もしくは、反体制的なもののほうが少な過ぎるということが怖いですね。

(後略)


[モーニングCROSS 2016年1月21日]

SMAP解散報道におけるマスコミへの違和感を吉田豪氏が語る - ログミー

前述の田原俊彦氏の功績を紹介している記事を引用する。

(前略)

“ジャニーズ隆盛”の流れを作ったのは、1979年『3年B組金八先生』の生徒役として出演した田原俊彦近藤真彦野村義男の“たのきんトリオ”だ。

(中略)

3人はレコードデビューも果たし、冠バラエティ番組『たのきん全力投球!』(TBS系)ではコントも披露。1980年代、田原と近藤の2人は常に音楽番組のランキング上位に顔を出していた。

当時の人気歌番組『ザ・ベストテン』(TBS系)の1位獲得回数は近藤のほうが多かったですが、田原は最多出場回数を誇り、番組には田原の名前入りのソファーが置かれるほどでした。

また、田原はあらゆる分野で“ジャニーズ初”を記録しています。

(中略)

ジャニーズタレントがドラマで主演し、主題歌を歌うという王道パターンが出来上がっていますが、起源を辿れば、1987年に田原俊彦が『ラジオびんびん物語』(フジテレビ系)に主演し、主題歌『どうする?』を歌ったのが最初。この成功が、翌年の『教師びんびん物語』と主題歌『抱きしめてTONIGHT』のヒットにもつながっています。

ほかにも、田原の築いた道はある。1994年に木村拓哉が受賞して以降、2005年を除き、ジャニーズ勢が独占している『ベストジーニスト賞』。実は、ジャニーズで初めて獲得したのは、1986年の田原俊彦だった。

(中略)

また、ジャニーズで初めてベストドレッサー賞に選ばれたのも、1989年の田原です。その後、ジャニーズ勢では1993年に東山紀之が獲っただけです。

木村拓哉が14年連続1位のまま終了した、雑誌『an・an』の『好きな男ランキング』(年度によっては『抱かれたい男』『寝たい男』などの名称も)も、田原俊彦という存在が大きな意味を持っているという。

(中略)

年輩の俳優が獲得しており、アイドルの付け入る隙はなかった。しかし、1987年に田原俊彦(当時26)が初めて1位になったことで、女性の価値観の変化を感じさせました。その後、田原は4年連続で1位を獲得。田原がいなければ、キムタク(注:木村拓哉氏の愛称)の14年連続1位という偉業は生まれなかったかもしれません

 

(後略)

 

[NEWSポストセブン 2015年6月21日]

ジャニーズ隆盛の礎を築いた田原俊彦 今なお光る功績の数々│NEWSポストセブン

吉田豪氏が語っている田原俊彦氏の『ビッグ発言事件』の説明。

(前略)

 

田原俊彦が急にメディアの露出が激減したのは、1994年に長女誕生の記者会見の席上での『俺はビッグ発言』と言われている。当時人気者ゆえに、マスコミに追いまわされ週刊誌ネタにされることが多かった田原は、強度のマスコミ嫌いになり、マスコミとの関係も悪化していた。
そのマスコミを前にして「本意ではない記者会見」「俺ぐらいビッグになると…」といった発言により、「思い上がっている」と散々バッシングされる結果に。
その後、『俺はビック発言』は、意図的な編集でその部分だけが大きくクローズアップされたことが、2011年の『爆報!THEフライデー』1回目に解明されている。

 

(後略)

[エキサイトニュース 2016年2月8日]

干された田原俊彦 その背景に中山美穂との同棲? - エキサイトニュース(1/2)

前述の2011年『爆報!THEフライデー』についての記事。

21日、田原俊彦がTBSの『爆報!THEフライデー』に出演し、かつて本人が言ったとされる「俺はビッグ発言」について言及。番組では当時の記者会見の模様がノーカットで放送され、当時テレビで放映されたVTRのあまりにも悪意のある編集に「俊ちゃんかわいそう」の声が巻き起こっている。

(中略)


しかし、当日に放送されたノーカットの記者会見を見ると、「俺はビッグ」発言は、「今まで教えてもらえなかったんで、奥様との出会いと結婚に至るいきさつみたいなものを簡単に説明していただけませんか?」という記者の質問に答えた田原が、真面目に経緯を語ったうえで、最後に、

「何事も隠密にやりたかったんだけど、僕くらいビッグになっちゃうとそうはいきませんってのがね、よくわかりました」

と、冗談めかして付け加えたもの。ノーカットの会見をすべて見ると、田原はマスコミに追い掛け回される状況に不満をあらわにはしているものの、記者の質問には1つ1つ丁寧に答えており、ビデオを見た爆笑問題太田光も、「ちゃんと全部答えてるよね?」と感想を述べている。

(後略)

[R25 2011年10月27日]

田原俊彦「俺はビッグ」発言は捏造!? 名誉回復へ | R25

実際の動画

田原俊彦 「俺はビッグ」発言会見 ノーカット版 ~真相~ - YouTube

前述のTV番組に関してライター戸部田 誠氏は述べている。

(前略)

 

・そもそもこれを流したTBSも当時積極的に編集版を放送しこの流れに加担したこと。
・そして今現在においても同局を含め同様なことは起き続けていること。
・またこの番組ではアイドル田原俊彦の失脚はこの会見がきっかけ(あるいは全て)のように扱われていたが、それこそこれも恣意的な印象操作があること。実際はすでに人気は絶頂期ではなく下火になりつつあり、傲慢な態度は問題視されていた(視聴者もそれに気づき始めていた)。だからこの「ビッグ発言」がそのとどめを刺したというのが真実に近いであろうこと。
・さらにこの会見の前からジャニーズ事務所独立問題から事務所から守られなくなったこと。そして直後、独立し実際に「干された」のはむしろこちらが直接的な要因と見る向きもあること。
などだ。
しかし、この「会見」が世間の田原に対する「干されても仕方ない」「当然」という空気を作ったのは間違いがない。

 

(後略)


[てれびのスキマ 2011年10月30日]

http://littleboy.hatenablog.com/entries/2011/10/30

田原俊彦氏は2016年9月2日に自身のライブのMCで以下のような発言をした。

「ジャニーさんは好き。でもメリーは嫌い」
ジャニーズ事務所は定年制にするべき」
「僕の退職金は100万!でもこの100万で自由を手に入れる事ができたから良かった」

 

[スマートジャニーズ 2016年10月4日]

田原俊彦のメリー批判はSMAP擁護のため!?ジャニーズ事務所を退所後に干されることを懸念か